村田賢一(明治大)は春日部共栄出身のドラフト候補!進路はトヨタ?

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明治大学ドラフト候補村田賢一投手

最速147キロのストレートを投げる本格派のピッチャーです。

春日部共栄時代にはエース兼4番打者として活躍し、3年春甲子園に出場。

明治大学に進学後は1年秋からリーグ戦に出場しています。

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村田賢一のプロフィール

名前:村田 賢一(むらた けんいち)
生年月日:2001年8月31日
出身:千葉県浦安市
身長:181cm
体重:88kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
家族:両親と弟2人
経歴:春日部共栄高校→明治大学

村田賢一は東京城南ボーイズ出身

村田賢一投手・長巳(おさみ)さんの影響で、小学2年生から浦安ニューラッキーズ軟式野球を始めました。

当時から将来性を期待されていたようで、“エースで4番”に育てよう”と、監督は村田賢一投手には1度も犠打のサインを出さず、マウンドに立てば、1試合で20四球与えても続投させていたそうです。

小学6年生の時には、ジャイアンツジュニアに選出されています。

村田賢一投手はピッチャーとして勝負したいと思っていましたが、この時、評価されたのはバッティングで、野手としての選出でした。

中学時代東京城南ボーイズでプレー。

東京城南ボーイズは、江戸川南シニア時代に松坂大輔さんを指導した大枝茂明さんが監督をされているチームです。

中学入学当時、村田賢一投手身長165cm体重68kgで、チームメイトからは「ぶーちゃん」と呼ばれていました。

今では181cm88kgと均整の取れた体格の村田賢一投手にも、そんな時代があったのは意外ですね。

ちょっと親しみが持てました。

中学時代も、最初は野手登録でしたが、中学2年生から本格的にピッチャーを始めます。

お父さんは当時を振り返って
「守るところがなくてサードやってみよう。キャッチャーやってみよう。次は外野やってみよう。ファーストやってみようと全てのポジションのグローブを買って、最終的にピッチャーに落ち着きました」
と話されています。

村田賢一は春日部共栄出身

中学卒業後は、埼玉県にある春日部共栄高校進学します。

1年秋から公式戦に登板。

しかし、その後は腰痛肩痛などの度重なる怪我により、2年の春と夏の大会は出場できずに終えています。

2年秋埼玉県大会から復帰すると、エースで4番としてチームを引っ張り、関東大会準優勝に大きく貢献しました。


翌3年春センバツでは高松商業0対8で敗れ、初戦敗退
 
3年夏埼玉県大会花咲徳栄4対7完投で敗れ、ベスト4敗退に終わっています。

村田賢一の明治大学時代

明治大学に進学後は1年秋からリーグ戦に出場。

2年生の2月に右ヒジを手術し、春から夏前にかけてはリハビリに努めていました。

復帰した2年秋のリーグ戦では10試合中7試合リリーフで登板し、1勝0敗防御率2.19の成績を残しています。

村田賢一の進路はトヨタ?

「村田賢一」で検索すると「村田賢一 トヨタ」と表示されます。

これはトヨタに村田賢一さんと言う社員がいるためで、別に村田賢一投手大学卒業後の進路が、トヨタ自動車に決まっているわけではありません。

村田賢一投手の将来の夢は“プロ野球で活躍すること”ですから、おそらく大卒でのプロ入りを目指すものと思われます。

村田賢一のまとめ

・村田賢一投手は春日部共栄の3年春に甲子園に出場
・明治大学では1年秋からリーグ戦に登板
・大学卒業後の進路はまだわかっていない

村田賢一投手から
「勝つというより有名になれ」
と教えられてきました。

また、本人も
「強豪校を倒して、もっと有名になりたい」
と話されていますす。

とてもプロ向きな性格のピッチャーみたいで、今後が楽しみですね!

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