ヤマハのドラフト候補・水野匡貴投手。
「水野匡貴」の名前の読み方は“みずの まさき”
高校時代からプロに注目されてきた本格派のピッチャーです。
社会人1年目の秋には、プロとアマの混成チームである『U-23日本代表』に、社会人投手としては“唯一、選ばれていました。
【2020.11.8 ダイムスタジアム伊勢】
— クラウン@いろいろ模索中。 (@bsbl89_cdbs) January 13, 2021
ヤマハ・水野匡貴投手(静岡高-明治大)#社会人野球 #JABA伊勢・松阪大会 #ヤマハ pic.twitter.com/AD8uFgpEfh
水野匡貴(まさき)のプロフィール
名前:水野 匡貴(みずの まさき)
生年月日:1995年10月2日
出身:静岡県牧之原市
身長:183cm
体重:86kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
血液型:A
ストレートの最速:148キロ
変化球:スライダー、カットボール、フォークボール、カーブ
経歴:牧之原市菊川市学校組合立牧之原小学校→藤枝明誠中学校→静岡高校→明治大学→ヤマハ
水野匡貴(まさき)は静岡県牧之原市出身
水野匡貴投手は、小学3年生から軟式野球を始めました。
中学時代は藤枝明誠シニアに所属。
中学3年生の時には、エースとして県大会優勝を達成しています。
また、南関東選抜に選ばれ、台湾遠征を経験しました。
水野匡貴(まさき)は静岡高校出身
中学卒業後は、静岡高校に進学します。
高校では1年秋からベンチ入り。
2年夏の静岡県大会は、5月末に左足首を骨折した影響で登板できず。
2年秋の静岡県大会も、リリーフとして2イニング投げただけに終わっています。
しかし、ケガの癒えた3年春の静岡県大会からはエースとしてチームを引っ張り、準優勝に貢献!
続く東海大会でも準優勝を果たしています。
3年夏の静岡県大会は、富士市立に延長10回の末、2-3で敗れ、ベスト8敗退。
高校時代から最速145キロを投げ、プロ志望届を提出すれば指名確実との声もあった水野匡貴投手でしたが、
「雰囲気の良さやレベルの高さを感じていて、明治大学でやりたいと思った」
と、プロ志望届は提出せず、明治大学に進学しました。
水野匡貴(まさき)は明治大学出身
水野匡貴投手は大学では1年秋からリーグ戦に登板。
3年春のリーグ戦では、初先発を初完封で飾るなど、2勝を挙げました。
今日のスポニチは明大野球部の水野匡貴と内山竣をクローズアップ。
— あお (@gf3KfX0RHWLDJ6g) February 24, 2017
先日の沼津キャンプを見学に行ったから2人には頑張って欲しい!
水野はシート打撃で登板した後も黙々とトレーニングしてた、内山も準備、片付けを率先し、トスバッティングのみしか見れなかったが切れのある動きをしていた。 pic.twitter.com/nEB3zvtTt7
しかし、その後は調子を落とし、3年秋のリーグ戦では後半からはベンチ外に。
4年春のリーグ戦でも、わずか2試合の登板に終わりました。
それでも、4年秋のリーグ戦では復調し、3勝1敗、防御率2.63という好成績を収めています。
水野匡貴(まさき)はヤマハ時代
水野匡貴投手は大学卒業時にもプロ志望届を提出せず、社会人のヤマハに進みました。
ヤマハでは、1年目から先発として活躍!
秋には、ケガで辞退した太田龍投手(当時JR東日本)の代替選手として、プロとアマの混成チームである『U-23日本代表』に選ばれています。
[時事]太田辞退、代替は水野=野球U23 https://t.co/ZEKY2qnDiY 全日本野球協会とNPBエンタープライズは9日、野球の第2回U23(23歳以下)ワールドカップ(19日開幕、コロンビア)に出場する日本代表に選出されていた太田龍投手(JR東日本)がけがのため辞退したと発表した。代わって水野匡貴投手(ヤ…
— ニュース速報(一般紙系) (@FastNewsJP_) October 9, 2018
水野匡貴(まさき)のまとめ
・水野匡貴投手は静岡高校、明治大学出身
・ストレートの最速は148キロ
・変化球はスライダー、カットボール、フォークボール、カーブ
水野匡貴投手は高校卒業時も、大学卒業時も、”プロ志望届を提出れば、指名は確実”と言われていましたが、志望届を提出しませんでした。
プロ志望ではないのでしょうか?
『U-23日本代表』に選ばれていることからもわかるように、実力的には十分プロで通用するものを持っていると思うんですが・・・。
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