JR東日本陸上部所属の片西景選手。
駒澤大学時代には学生のためのオリンピックといわれているユニバーシアード大会のハーフマラソンで優勝し、世界一に輝いた実力を持つランナーです。
これだけすごい選手ですから、さぞかし高校時代から活躍していたんだろうと思われるかもしれませんが、陸上を始めたのは高校からと遅く、高校までは全国大会に出場した経験はありませんでした。
それでも、駒澤大学に進学してから大八木監督の指導の下、持ち前の気持ちを前面に出した走りで、記録をどんどん伸ばし、日本陸上界を代表する選手へと成長を果たしています。
10000m 2組
— EKIDEN NEWS (@EKIDEN_News) September 19, 2020
🥇片西景 JR東日本 28:30.32#全日本実業団 pic.twitter.com/eKtF1M25TU
片西景(かたにしけい)のプロフィール
名前:片西 景(かたにし けい)
生年月日:1997年3月18日
出身:東京都国立市
身長:166cm
体重:49kg
血液型:B型
経歴:国立市立国立第四小学校→国立市立国立第二中学校→昭和第一学園高校→駒澤大学→JR東日本
片西景(かたにしけい)は昭和第一学園出身
片西景選手は中学までは野球をやっていました。
ポジションはセカンド。
阪神の金本知憲選手に憧れていましたが、体が小さく
「高校で硬式は無理だな」
と考え、足の速さを活かして、高校からは陸上をしようと考えました。
初めは陸上の強い都立高を受験しましたが、残念ながら不合格となり、
陸上では無名の昭和第一学園に進学しています。
昭和第一学園の駅伝は弱く、初心者の片西景選手が入学後、たちまち1番になってしまうようなレベルでした。
そのため、片西景選手個人としては、高校3年生の時の東京都高校駅伝で1区を走り、区間賞を獲得していますが、
高校3年間通して、全国高校駅伝大会には出場できていません。
駅伝はチーム競技ですから片西景選手一人だけ速くても勝てませんよね。
そんな弱小校のエースという程度で、ほとんど無名に近い存在だった片西景選手に目を付けていた人がいました。
それが駒澤大学の大八木弘明監督です。
「前に前に、小さい体でガンガン引っ張っていた。タイムはそこそこでも、走り方が好きだった。無名校の一匹オオカミという感じで、気持ちだけは強いと思って声をかけた」
と話されています。
片西景(かたにしけい)の駒澤大学時代
大八木監督の誘いを受け、駒澤大学の文学部地理学科に進学した片西景選手は入部当初は練習についていくのがやっとでしたが、体重が増え、体力がついてくると、自然とタイムも伸びていきました。
大学三大駅伝には、2年生の全日本大学駅伝でデビューしています。
この時は6区を走って区間6位でした。
続く箱根駅伝でも9区で、区間4位の快走を見せています。
#第93回箱根駅伝
— りか (@Lblo_K) January 3, 2017
9区
片西 景(駒澤)
復路の駒澤は彼無しでは語れない
大学に入ってここまで強くなったっていうのが、なんだか駒澤っぽくていい。 pic.twitter.com/RmTZ5aMoZ4
大学3年生の時に、日本学生ハーフマラソン選手権兼ユニバーシアード日本代表選考会で3位に入り、ユニバーシアード出場権を手にしました。
8月に台北で行われたユニバーシアード大会では、男子ハーフマラソンで見事、優勝!
この時は、2位が駒澤大学の先輩・工藤有生選手(現・コニカミノルタ)、3位が神奈川大学の鈴木健吾選手(現・富士通)と、日本人で表彰台独占となり、団体でも金メダルを獲得しました。
片西景の自己ベスト
5000m 13分57秒02
10000m 28分30秒32
ハーフ 1時間01分50秒
マラソン2時間09分27秒
片西景の父
片西景選手の父・片西達也さんは、片西景選手が21歳の時に病気で亡くなられてます。
その時、片西景選手はニューヨークシティハーフマラソンに出場していて、空港でお父さんの訃報を知ったそうです。
そんな片西景選手を駒澤大学の大八木監督が空港まで迎えにいき、国立のご実家まで車で送り届けてくれたそうです。
【箱根駅伝で活躍された駒澤大学2年生の片西景(かたにしけい)さんに成人式でお会いしました】国立市民の片西さんは、1月3日の箱根駅伝で9区4位と健闘されました。成人式の記念に、国立市立第二中学校時代の植木先生(右)、川嵜先生(左)と撮影。市長室広報担当 #成人式 #国立市 pic.twitter.com/sK17SYJPK7
— 国立市 (@city_kunitachi) January 11, 2017
片西景(かたにしけい)のまとめ
・片西景選手のお父さんは病気で亡くなられている
・昭和第一学園高校出身
・駒澤大学出身
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